ホーム  >  受骗者揭露

母親は“円満”への路で命を喪った

2017-02-17 ソース:kaiwind.com 作者:奚雨(整理)孫玉霞(口述)

 私は孫玉霞、北京市西城区に住み、母親の韓淑芳は定年退職した清掃人だったが、法輪功を修行し“円満”への路で命を喪った。  

1994年母親は退職後、健康診断で心拍が速すぎ高血圧だと判った。当時母親の不安は大きく、通院と薬で治療する以外に、以前気功を習った事があったので、気功で心臓病と高血圧といった病気を治そうと思った。  

1997年のある日、母親は中山公園で法輪功と接触を始め、帰宅すると興奮して“今日中山公園で法輪功という新しいものを勉強した、聞けばこれを修行すると、もう薬や注射は必要無く、身体の“業”病は全て師父の李洪志が“掃除”してくれる。修行者は今後病気にならず、修行が終われば“円満”に“飛昇”して神になれる!”と言った。父親はこうした怪しげな話しを聞き、母親が持ち帰った『転法輪』を読んだがよく判らなかったので、母親に“修行でお前の病気が治るなら良い事だ。しかし“円満”とか‘飛昇’とか天上で神になるとかは考えない方が良い、いい加減な話しだ。”と言った。しかし母親は“皆師父の李洪志は“宇宙の主仏”であり、地球に降りて来て人類を‘済度’してくれると言っている。あんたが信じる信じないは勝手だが私は信じる、真面目に修行して早く‘円満’に‘飛昇’したい。”と言った。  

母親は法輪功の修行を始めてから、李洪志の要求に応じて普段飲んでいた高血圧や心臓病の薬をやめてしまった。これを見て父親と私は何度も服用して病状が落ち着くよう勧めたが、母親は聞かなかった。  

母親は毎日朝5時に、修行の場所に行って仲間と朝修行を行ない、帰ると『転法輪』を読んでいた。彼女は教育程度が低く、知らない文字は辞書を引くしかなかった。しかし何度もこの本を読み時間が経つと“転法輪”の一節一節を暗記してしまった。こうして母親は心身全て法輪功に投入してしまい、家事でもしなくても構わない事はせず、自分の娘や孫にも関心を失い、私の娘の学校の送り迎えもしなくなり、私は全く理解出来なかった。  

1999424日夜、楊おばさんが母親に“上から連絡が来て、全ての法輪功学員は必ず425日の朝、府右街の国務院信訪局に行って“護法”するように、師父は更に、これが円満になる最後の機会だと言ったそうだ”と言った。何時も期待していた“円満”が実現するので、母親は興奮を抑えきれなかった。翌日の朝、仲間と府右街に行き、国務院信訪局の前に一日立ち続け、遅く帰って来た。これ以降、母親は何時も通り修行を続けたが、内心では“円満”の到来を焦って待っていた。  

期待した“円満”は来なかった。19997月、政府は法律により法輪功組織を取り締った。母親は仲間の影響も受け、この事態を理解出来ず、強く反発していた。父親が法輪功の修行を放棄するよう勧めたが、母親は怒って“あんた達が修行させないなら、この家を出て行く。”と言った。私と父親はこれを見て良い考えも浮かばず、彼女が家でこっそり修行するのを黙認して家の中の平安を求めるしかなかった。  

しかし、母親が努力して“法”を学び、何とかして“階層”を上げ“円満”を求めている時、母親の仲間である楊おばさんが突然心筋梗塞で亡くなった。楊おばさんは母親同様、心拍と高血圧を患っていた。彼女は199612月に法輪功に入ってから、李洪志の要求通り、服薬して血圧を安定させる事をしなかった。彼女は母親に“私達は師父の‘法身’で守られ、お腹には師父の“法輪”が回っていて、どんな病気も綺麗さっぱり消えてしまう。”と言っていた。しかし意外にも、楊おばさんは法輪功を修行して4年近いのに李洪志は彼女の“業”を消せず、“法身”も楊おばさんを守れず、“円満”な“済度”も待たず、不幸にも早世してしまったのである。  

しかし、楊おばさんの死も母親の警戒心を引き起こさなかった。母親の病気は変わらないのに、ともかく盲目的に治療を拒否していた。我々がどんなに忠告しても耳を貸さず、逆に“師父は、修業を必死で行ない、通院や服薬をしない、さもないと‘円満’に到達出来ない、と言っている”と言うばかりであった。  

母親の修行は5年近くになり、私には母親が段々と衰弱して行くと感じられ、母親にどこか悪いところは無いかと聞くと、お腹が良くない、痛みもあるし、食事も欲しくない、吐き気や胸やけがして身体に力が入らない、と答える。病院に行くよう勧めても、大声で“いや、行かない。師父は、薬は業力を増加させ、最後には自分を壊してしまう、私の“業”病は師父が取り除いてくれるから構わないでくれ”と言うばかりであった。  

母親は長年心臓に対して系統的、重点的な治療を行なわなかったので、心臓病も以前は時折であったがその後しょっちゅう発作を起こすようになった。胸部と左肩に痛みが出て緊迫感があり、胸やけや呼吸困難といった症状も出た。父親は妻が病院に行かず、何時も痛みをこらえているのをみて心配し、たびたび病院行きを勧めたが、母親は何時も師父の言葉を言い返して“修業を必死で行ない、通院や服薬をしない、さもないと‘円満’に到達出来ない。私の高血圧は前世の‘業力’によるもので、前世の借りだ、法輪功修行で‘業’を消して借りを返し、‘円満に’神となるのだ”と言った。  

私も焦って病院での検査を何度も勧め“通院も服薬も不要なら病院は何のためにあるのか?李洪志の嘘を聞いていると自分の身体が手遅れになるよ”と言うと母親は“私の修行は何のため?あんた達家族の平安のためなのだ、私の病気は前世の‘業力’のためで前世の借りだ、法輪功の修行だけが‘業力’を消せる”と言うのであった。  

200964日の朝、母親は家で『転法輪』を読んでいる時に突然昏倒し、左腕を骨折した。見つけた私が豊盛病院に連れて行き、治療の結果母親は眼を醒ましたが、発声が明瞭ではなかった。母親は自分が病院で治療を受けているのに気付くと起き上がろうとしたが、既に力が出なくなっていた。言葉をやっと聞き取ると、家に帰りたいとの事だった。私は“お母さん、病は軽くなく、医者も病状は重いので入院して検査が必要だと言っている”と説得した。  

検査の結果、母親は脳溢血だが、出血面積が小さく、しかし老年の骨折は接合が簡単ではなく、3ヶ月以上の懸命の治療で徐々に回復してきた。加えて母親が毎日家に帰りたいと騒ぐので、私と父親は母親も基本的に回復したのを見て家に帰した。  

帰宅した母親は、弱った身体に構わず、“転法輪”を捧げ持った。3ヶ月以上の入院は、師父李洪志に対する裏切りだと感じ、李洪志がもう自分の“業力”に構わないのではないかと恐れた。従い以前にも増して“法”を学び取り返そうとした。  

それも続かず、2年目の4月のある夜、母親は再度頭蓋骨内大出血のためこの世から去った。母親は自己の生命を李洪志が敷設した“円満”の路に捧げたのだ。  

私は母親の死を悲しむと共に、老人の愚かさを哀れに思う。憎むべきは李洪志と人を害する法輪功である。  

 

分享到: