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女教師楊帆の邪教マインドコントロール体験

2016-06-01 ソース:kaiwind.com 作者:楊帆

 

 

私は今年37歳、元々は内モンゴル自治区オルドス市の教師で、法輪功に夢中になった時期があった。どうしてインテリとしても邪教に入信したのだろうといつも自分に問い続けた。  

1997年、私が17歳の時、法輪功が私が住んでいる町に伝わってきた。その健康面における効果が不思議ほど宣伝されていたので、私と母も参加することにした。当時私を最も引き付けたのは法輪功の理論で例えば「真?善?忍」、「レベルアップ」、「超能力」、「円満登仙」など。いずれも人の好奇心をそそるもので、自分もいつか法輪功を学ぶことによって超能力を身につけると空想した。  

『転法輪』、『転法輪義解』などの法輪功に関する本を繰り返して読んだら、無意識のうちに法輪功の考え方に洗脳された。例えば、法輪功を学ぶ人は薬を飲んではいけないとか、「業を消す」、「病気を治す」など、また「いい人になろう」、「徳を積もう」など。「徳」というのは白い物質で、「功能」にも「福報」にも転化できる。「功能」に転化してから、「功柱」になり、レベルがアップして「三界を脱出」して、人間の本来の来たところの「天国」(宇宙)に戻ることができるという。人間は「私」があるから地球に下ったから、修行を重ねて元のところに帰らないと、引き続き墜落し、さらに湮滅されるかもしれないということが私の頭の中に溢れてきて、だんだん私が自分に求めたいものも違ってきた。色々な欲望、特に物質に対する欲望を精一杯抑え、「名?利?情」に無関心になり、だんだん、自分が「円満」に近づいているような気がした。  

20135月のある日、一人の伝道者に会った。彼女から一枚の紙をもらった。「もしいつか災いが訪れたら、「イエス、私を救ってください」と叫べばいい」と書いてあった。一体全ての入信者が誰でも「神」、「仏」のような超自然の力の加護が感じられるものだろうかと私はふっと思った。それぞれの教祖が自分が唯一の神と称するが、一体この世界は誰のものだろう?そこで、どうしてその宗教に入信したのかと彼女に聞いてみた。そこには特別な暖かさと心遣いがあるからだと彼女が答えた。この偶然な出会いは私を色々考えさせた。  

その後、麻薬中毒者に会って、普段彼女たちは普通の人間と変わらなく見えるが、何で麻薬を吸うのと聞いてみたら、「生活は辛いから。麻薬を吸ったら恍惚となり、自分が欲しいものなら何でももらえるような気持になるから。。」と言った。その話を聞くと、私はどうしたらいいかわからなくなった。法輪功を二回学ぶと、何でももらえるような感じが出てきたからである。とても幸せな感じだった。まさかそれは麻薬中毒みたいなことなのか?  

ボランティアの援助のおかげで、私はだんだんと手がかりをつかみ、はっきりとした。「どうして私が邪教に洗脳されたか」と反省し始めた。  

17歳は人生観、世界観の形成期である。私は体が弱くて、好奇心が強く、実情にそぐわない空想がたくさんあった。社会を目の前にした時、私はとても不安で、誰かに頼りたかったのである。「師匠」の李洪志は限りなく大きい神通力を持ち、頼れる方なので、どんな困難があっても彼が助けてくれるはず。病気にならないし、「功能」も得られるし、自分の欲望さえ消したら、もっと報われると思った。当時、法輪功のせいで、自分が現実にそぐわないたくさんの欲望を抱えていることに気付かなかった。例えば、手を尽くして「徳」を獲得し、「徳」を守り、「徳」を以て「功能」と交換し、「レベルアップ」、「円満登仙」を実現しようとしていた。それに法輪功の「世界の末法の時、僧侶は自分で自分を救うことさえできなく、まして他人を救う事ができるものか」とか、「宗教はすでに廃ってしまったのだ」などの話が強く私に影響し、他の宗教を信じられなくなり、ただ法輪功に夢中になっていた。生活で問題が起きた時、私は法輪功と李洪志が救ってくれると強く信じ込んでいた。  

法輪功に夢中になっている歳月を顧みたら、私はやっと分かった。人間の正常な考え方がなかったのだ。人間性も歪んで、問題に対する見方はいつも法輪功信者らしくで、つまり全て法輪功の教義の立場に立って、自分の言行を教義と照らし合わせ、普通の人の話を曲げて解釈したりして、私が大事にしていた肉親の愛情にも無関心となった。見た目は異常なところはなかったが、実際に考えていることは普通の人との違いが大きかった(かなり大きかった)。そして、法輪功に不敬な人がいたら、私はいつもと違って、敏感、且つ喧嘩好きになり、さらに極端に走りやすくなった。「魔物が邪魔に来た」と思い、自分に巨大な利益をもたらしてくれる師匠を守るためには、誰とでも戦えるし、法律を無視することもできると思った。しかし、私は自分の問題や欲望に目がくらんでいたところに全然気付かなかった。法輪功の教義としては「他の人が欲しくても手に入れないものを手に入れなさい。我々は普通の人が求めるものを追求しない。他の素晴らしい世界では苦労せずに欲しいものが「手を差し伸べればすぐもらえる」、あなたはそこの「主」であり、「王」である」などがある。このように詳しく空想世界を描く言葉が、抑えきれず、膨らみつつある欲望を生じさせるのである。この中にいる私は、見分け能力を失い、麻薬を吸ったような快感に迷い込んで、李洪志の意志を自分の意志として、世界の人々や物事を分析するようになった。  

邪教の教義はまさにメンタルの麻薬のようなもので、心身に問題を持つ人の欲しいものをあげると承諾してくれたが、それは空中楼閣に等しく、望んでも手が届かないものである。いったんそれを受け入れれば、あなたの正常な考え方が絶えずに侵食され、千倍万倍にその邪教からの「マインド援助」を償還しないといけない。もし解決法がみつからなかったら、さらに自分の空想世界に陥って、現実世界との交流ができなくなり、最後は邪教の傀儡となるのだ。更にひどくなると、邪教の極端な教義の影響で、人を殺したり、自殺したりまでするかもしれない。  

体が健康でいたい方や心の頼りを探したい方、ぜひ、日ましに小細工を弄ずる邪教組織に容易く入信しないでください。生涯にわたって信じる信仰に対してはよく考えてから選んでください。世の中ではどんな病でも治せる万能薬はないし、救世主なんかどこにもいない。自分を救えるのは、自分自身の強さと努力しか頼らない。私のことを戒めとしなさい。毒を飲んで渇を止めたら、後は悔やんでも取り返しがつかないのだ。  

  

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