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河北省・蔚県(三) レーザーカッター時代の切り紙芸術

2015-12-15 ソース:peoplechina.com 作者:単濤=文 佐渡多真子=写真

  

かつて蔚県では、切り紙の上手さは賢さや優しさの象徴とされていた

 

 

幸運を願う民俗から発展

蔚県の職人には腕のいい職人?工芸家が少なくない。彼らはそれぞれの分野で生来の頭の回転の速さや手先の器用さを発揮し、蔚県の工芸品の輝かしい時代をつくりあげた。昔の蔚県の職人は流動性が高く、北方各地ほとんどどこへでも出向き、身につけた技能だけを頼りに天下を渡って行くことができた。少々汚いが、蔚県にはこんな笑い話がある。この地の職人は本当に食うに困ったら、地面に小便をし、土をこねて笛を作り、吹きながら売り歩くというものだ。数ある手工芸のうちでも、蔚県の人が最も誇りにしているのが切り紙工芸だ。かつて、冬の農閑期には、蔚県のそこかしこで地元の切り紙職人が「亮子」の傍らに立って切り紙を売っていたものだ。亮子とは、販売する切り紙を展示する道具で、格子状に並んだ木の枠に白い紙が張られ、それぞれの格子にはさまざまな色の切り紙が並べられるようになっている。まばゆい陽光の下で、並んだ色とりどりの切り紙は、蔚県に特有の、人を魅了する風景となっていた。

蔚県の切り紙工芸は、もともとは「剪窓花」という俗称で呼ばれていた。昔の蔚県にはこんな言い方があった。「最もお金のある人は本を読み、あまりお金のない人は芝居を見、最もお金のない人は窓花を眺める」。蔚県では大小の民家の窓にさまざまな切り紙細工を貼っているのを見ることができる。そして、切り紙作りは農閑期の退屈しのぎとして、この地の老若男女の間に深く根付いている。中国人の伝統的観念では、赤はめでたさ、成功、幸運の象徴だ。窓花が登場する以前、蔚県の民衆の間には戸や窓に「貼紅」、「貼喜字」を行う習慣があった。息子や娘が結婚する時や春節(旧正月)には、窓枠の四隅に赤い三角の紙を貼り、窓紙を張り替え、将来の幸運と生活が豊かになることを祈ったのだ。この地の人はこうした赤い三角を「紅紙尖」と呼んだ。後に、この簡単な形の赤い三角、赤い「喜」の文字の周囲に次第に梅の花やボタンの花、おしどりなどがあしらわれるようになり、内容豊富な図案が出現してきた。こうした絶え間ない変化の中で、切り紙の題材はより広範になり、五穀豊穣や満ち足りた幸福を表すおめでたい図案から、真に迫った芝居の登場人物まで、いわゆる森羅万象を網羅して、蔚県の切り紙は芸術的に真の成熟に向かって進化した。つまり単一の色彩から彩りを添えたものへ発展したのだった。

 

 

   切り紙のデザインを考案中の周河さん

 

   蔚県民俗の「踩高跷」を題材にした切り紙作品

手作りの味わいを大切に

蔚県城の南にある南張荘村は蔚県切り紙発祥の地で、200年余り前に始まったとされる。現在、村の約6割の農民が切り紙関連の仕事に従事しており、その収入が過半を占める。村の通りの両側には大小の切り紙工房や販売店が並ぶのが見える。店で売られている切り紙は数元の小さなものから数万元もする巨大な作品まで、大きさや価格はさまざまだ。店員の紹介によれば、数元から数十元の小品は、見たところは精巧で色も鮮やかだが、完全な手工品ではなく、レーザーカッターを使った量産品だという。切り紙の産業化が進むにつれ、供給量と生産速度を増すため、多くの業者が機械化を進めている。この点について、中華文化促進会切り紙芸術専門委員会顧問の力強氏は「レーザーカッターで作った切り紙は美しく精巧ですが、伝統の手工芸切り紙作品にある唯一無二の味わいに欠けています」と話している。

南張荘村の切り紙芸術家の周河さん(62)は、今でも手づくりの切り紙を作っている一人だ。同村の入り口にある彼の剪紙芸術館には、彼が制作した切り紙作品が数多く展示されている。彼は、切り紙を代々伝える家に生まれた。父親は王老賞さんと同時代の人で、彼とも付き合いがあったという。周河さんは、先人たちの影響の下で、幼い頃から彫刻刀を持ち、大人の作品を見本として切り紙を学んだ。1972年、高校を卒業すると彼は故郷に帰り、一心不乱の切り紙人生を開始した。また伝統を受け継ぎながらも、切り紙芸術に革新を行うことをひそかに決意した。

蔚県の切り紙職人の中でも、図案の設計から切り、色付けまでできる人は極めて少ない。周さんは学習意欲と苦労をいとわない精神で、切り紙に関するあらゆる技能を身につけた。周さんが扱う題材は非常に幅広く、神話や芝居の演目に由来する人物もあれば、動植物や干支に関連するデザインもある。中でも人物切り紙は特に出色で、彼は「鏤空(透かし彫り)」の技法で人物の五官や髪、ひげや服装、アクセサリーに至るまでを描き出し、作品に強烈な立体感をもたらしている。先人の伝統を受け継ぐ際に、彼は特に他の関連芸術のエッセンスを吸収することに留意し、前後して多くの書道、絵画、表装それぞれの芸術家を訪ねて教えを受けた。印刷業界に出向き配色のテクニックを学びさえし、さらに学んだ知識を切り紙工芸の中に取り入れたのだった。

伝統の蔚県切り紙は、もともとは窓に貼る飾りでそれほど大きなものではなかった。ところが、周さんは切り紙をどんどん大きくしていった。まずA4判(『人民中国』誌の大きさ)とA2判の切り紙を用いた壁掛けカレンダーを作り、その後自分が学んだ表装技術を使って大型の切り紙の掛け軸を作った。こうして切り紙の用途は豊富になり、切り紙の作品はより多くの人々に親しまれるようになった。周さんはまた画仙紙の本場の安徽省に大判の紙を特注し、幅5メートル、高さ1.6メートルの「巨龍図」という切り紙作品を作り上げた。本人によれば、つなぎ合わせていない1枚の作品のため、制作時には人が空中につり下がって作業する必要があったという。  北京と張家口が2022年に冬季オリンピックを開催することが決まると、周さんはオリンピック関連の題材を扱った切り紙創作を開始した。内容や形式、技術上での革新は、周さんの切り紙作品に蔚県でも独特の風格を持たせている。彼は数十年来、一貫して完全な手工による制作を原則にしている。「かつて私が『亮子』を持ってあちこちの街頭で切り紙を販売した時、他の人が1枚5分(0.05元)で売っているのに、私は1枚5角(0.5元)と10倍の値段で売りました。それでもみな行列して私の作品を買いました。それは、私が毎年人々の気に入る新たなデザインを取り入れたからです。切り紙芸術が生き残っていきたいなら、社会の形勢や潮流から離れてはいけません。機械で作る切り紙はコストが低く生産性が高いかもしれませんが、知恵に欠けます。自らの手で作ってこそ作品に魂が入れられ、切り紙が生き生きとするのです」

 

  

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