「端午節」にチマキを食べる習慣は、戦国時代にさかのぼります。言い伝えによりますと、戦国時代、楚の国の詩人だった屈原は愛国者であり、国難に殉じ汨羅江(べきらこう)という川に身を投げました。彼は楚の人々から深く愛されていたため、人々は魚が彼の亡骸を食べないよう、替わりにもち米で作ったエサを川に投げ入れたといわれます。このエサがチマキの由来です。
以前はどこの家でも、「端午節」になればチマキを自分たちで作って食べていましたが、今は真空パックに入った既製品を買うことが多くなりました。この時期のスーパーには、ちまきの特設コーナーが出来、立派な缶に入った贈答品用のチマキも売られています。チマキの具も豚肉や栗、なつめ、餡子、八宝(小豆、リョクトウ、ピーナッツなど8種類の豆類)など種類も豊富です。チマキはいわばご飯とお菓子という2つの感覚が楽しめる、不思議な食べ物です。