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悔みしながら他界へ

2013-09-10 ソース:Kaiwind 作者:林暁

 

郝平の遺影

 

郝平さん、今年74歳、黒竜江省佳木斯プラスチック工場から退職した。私は彼女と同じ団地に住んでいる。仲が良かった。

 

郝さんはもともと性格が穏やかで、善良な方だった。静かに暮らしていた。夫に早く死なれ、息子、娘も近いところに住んでいないので、郝さんはよく孤独を感じていた。たまには胸が痛かったり、息が詰まったりしていて、体力がいる仕事はできないが、薬をずっと飲んでいるから、たいしたことではなかった。

 

1995年、夏のある朝、彼女は家に近い江浜に来て、大勢の人が鍛えていることを見かけた。近づいて見たら、法輪功を修練しているのだと言われた。この功はすごくて、毎日修練すれば、師父の法身は業を消してくれて、薬いらずに病気を治すそうだ。すると、郝さんはみんなと修練し始めた。

 

十数日後、郝さんは体が軽くなったと感じ、またみんなと一緒に修練するため、一人暮らしもとても楽しくて充実になった。また、修練を誘う人も好機を逃さずに、うまく修練すれば、いっそう向上になるばかりでなく、最後に佛か仙人になれると教えた。もともとちょっと迷信的な郝さんはこんな話を聞いてとてもうれしかった。やっと仙人になる道がみつかったと考え、修練への自信を強めた。

 

1999年、国が法律に沿って法輪功を取り締まった後、郝さんは理解しなかった。やはり家でこっそり修練し、時には友達を家に招いて一緒に修練したり、法を学んだり、経験を話し合ったりしていた。

 

だんだん、私は彼女の具合が悪いことに気づいた。体の動きが重く、歩くのも難しく、唇も青かった。これがずっと薬を飲んでいないせいだと話しかけたら、彼女は自分の業力が重いから、修練を続けなきゃと答えた。しかし、病気がいっそう重くなり、胸が詰まることがしきりになり、足も腫れるようになった。日々やせていく郝さんを見て、私と隣人はみな早く病院にいき診察を受けたほうがいいと勧めたが、いろんな理由で断られた。  

 

2011年のある日、私は郝さんの家で彼女とあった。彼女の話から、彷徨いと恐怖心を感じた。彼女は、「もう一年間経つと、師父が語った『20年円満』の年だ。いま修練をやめるのはなかなかできない。もし、その日になると、師父が言ったとおりに、円満になり、仙人か佛になると、病気も災いもすべてなくなる。人間の罪から脱出することができる。私たち修練者と常人は違う。やめたら形も精神も滅びる」と話した。

 

2012年、メーデーの前に、私は彼女に餃子を送ったが、それが最後の会いになった。

 

彼女は「私はこの十数年に、法輪功に夢中し、いろんな馬鹿なこと、バカな話をした。今考えると、後悔している。修練すれば元気になるなんて。17年間修練したが、病気は重くなる一方だ。師父の法身はどこにもあり、弟子たちの病気と業を消してくれるなんて。その法身は見たことさえない。病気を治すことはぜんぜんない。『二十年間の円満』とはまったくのうそだ。結局、何も現れなかった。李洪志はただのペテン師だ」と話した。「修練するのは誤りだ」と叫び、涙も出た。彼女に薬を飲み、あるいは病院にいくと勧めた。彼女は「自分の病気は自分でわかる。おそらくもう手遅れだ」と答えた。

 

2012年5月5日、17年間円満を追求してきた郝さんは李洪志のいわゆる「20年円満」の年に、病気の進みによって急性心梗塞でなくなった。円満になり天国にのぼるどころか、他界にむなしくいった。

 

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