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顔に書かれた痛み(写真付)

2012-06-29 ソース:Kaiwind 作者:顔其桂(口述)龍雨(整理)

顔其桂最近の写真

顔其桂といい、1941年6月に生まれ、家は重慶市北碚区静観鎮にある。私は字が読めないが、毎日農作する以外、家でブタを飼ったり、ご飯を作ったり、家事をしたりした。生活には余裕はない。

体の状況はずっとよくない。喘息があるため、普段はよく薬を飲んでいる。1998年8月、隣人張淑芳から法輪功を紹介してきた。法輪功を練習すれば、薬を飲まなくても病気が治ると言われたので、やってみようと思った。最初何もわからず、字もよめないので、彼女たちの動作をまねしたり、彼女の「転法輪」を読むのを聞いたりした。その後、張淑芳にわたしについてくださいといわれた。張淑芳から師匠が釈迦の生まれ変われだ。師匠はどうやっていい人になれるかを教えてくれる。上次元になるため、師匠の言われた通りに練習する必要がある。ある次元まで上ると、神になれるして円満できるなどがよく言われた。

1999年7月、国が法輪功を取り上げた。しかし、私は相変わらず張淑芳の家で法輪功を練習していた。夫は怒って、ブタ四匹を全部売った。

2004年3月、深圳で出稼ぎをした息子は実家へ戻った。元々は喜ぶべきなことなのに、私は法輪功を練習したので、帰ってきた息子に対して冷たかったし、私の邪魔になったと思った。ある日、夫は息子に、「お母さんは毎日法輪功目ばかり練習して、その以外何も無関心だ。この家は家らしくない。」と言った。私は当時顔が真っ赤で「私の師匠を侮蔑するな!」と反論した。私は「転法輪」を持ち、息子にも法輪功を話そうした時、息子は笑った:「お母さん、本は逆らうだよ。これでも練習できるの」私は怒って、自分の部屋に閉じこもった。師匠に額ずいて、お線香を三本供えた。その後、息子は四日間でずっと私に法輪功をやめよう、すべては李洪志の嘘だと言い続けたが、私はどうしても聞き入れなかった。一週間後、しょうがない息子は深圳に戻った。

20074月28日はこの一生涯最もつらい日である。28日朝2時、私はお線香を供え、赤い蝋燭二本を燃やした。師匠の写真にむかって座禅を組んだ。長期間夜深く練習し、体が元々よくないので、急に倒れた。いつの間にか蝋燭が師匠の写真を燃やし、家は木造建築なので、火はどんどん拡散した。少しずつ蘇った私は「師匠、助けてくれ!助けてくれ!」と叫び続けたが、最後まで師匠の姿が現れなかった。師匠の法身から守ってくれなかった。私は火の海に陥った。最後、夫から助けられたと分かった。

私は重慶市第九人民病院火傷科で蘇った時、目に厚い包帯が巻かれた。顔が痛くてしょうがなかった。夫の声を聞こえた時、後悔の涙は流した。すべては夫と息子からの助言を聞けなかった自分のせいだ。

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