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姚建新:私が演出した「天に昇る」ドタバタ劇

2011-08-26 ソース:Kaiwind 作者:姚建新
     私は河南省杞県化学肥料工場の職員で、今年41歳、中学卒。八年前、私は法輪功に溺れて、法輪功の昼間に天に昇るという説教に深く信じ込んだため、自分が「天に昇る」芝居を演出した。
 
 入社してからずっと現場で働いていた。仕事の強度が高かいため、腰筋過労にかかった。腰は常に不適な感じを感じて、特に曇りの日、雨の日になるとなおさらだ。家族は私のために、あちこちで治療法を収集してくれたが、根本的な治療法はなかった。1997年初めごろ、会社に法輪功といって、病気を治ってくれる気功を教える人が現れ始めた。私はやってみる気分で練習者として参加した。

 しばらく練習したら、腰部の痛みが緩和された気がした。したがって、法輪功が宣伝した業力を消すことによって病気が治ることに信じ込んでしまった。練習に対し、一層集中した。補導員のアドバイスを受けて、李洪志の画像、「転法輪」、「洪吟」、練習服、テープなど練習道具をセットで購入した。ほかの練習者と練習の心得を交流したり、「転法輪」、李洪志の様々な説法、明慧サイトからダンロードした「経文」を照合しながら、検討した。

    練習の進みとともに、李洪志が言った上次元、「円満になって天に昇る」ことに憧れるようになってきた。師匠が練習者への定義に従い、自分を厳しく要求した。1999年国は法輪功を取り締まっても、私は家で密かに練習を続けた。

 働いた工場は2000年から徹底的に生産停止した。出勤しなくてもよかったので、全部の時間を練習に使っていた。早く天に昇れるため、毎日家に閉じこもって、時間知らずに練習していた。2001年下半期から、練習中時々師匠の法身がそばにいるような幻がきた。時々師匠が私に微笑んでくれたような感じをした。長い家に閉じこもって練習したせいでできた幻覚だった。しかし、当時の私はそう思わなかった。師匠の法身は常に私を見ている、私がもっと高い次元へ行けるように協力している。師匠が守ってくれているからまもなく天に昇れると心の中で喜んでいた。

 2002年1月23日朝、座禅を組んていた私はぼんやりと師匠を見ていた。師匠は空中に浮かんで、私に手を振った。目の前にまっすぐな道ができ、師匠の前まで伸びた。一瞬のシーンだったが、私はすぐ家の傍は広くて真っ直ぐな106国道だと悟った。急いで自転車を乗って、106国道を沿って走りながら「転法輪」を暗記し始めた。黄河大橋の南側にある開封県劉店郷の近くまで走り出した。疲れ切ったので、道の端に座りながら思った:師匠の法身が空中にいたことを見たのに、どうして追いつけられなかっただろう。急に李洪志が言った:「生きることと死ぬことを捨てられる人は神で、捨てられない人は人だ」と思い出した。確かにそうだった。人の肉体は腐った革袋で捨てなければならない。周りを見て、脱殻場を見つけた。稲わらが貯まった。私は稲わらを地面に敷いて、ライターで下から火を付けた。稲わらのトップに這い上がり、両手を開き、天に昇るタイミングを待っていた。間もなく火は盛り上がり、私はほぼ窒息した。しかし間もなく天に昇るからと思って踏ん張って我慢した。ある通り人は「助けてください」と叫びながら、私を火の中から引っ張った。最初はその人を悪魔と言いながらいやいやしていた。二度火の中に入ろうとしたとき、やってきた人々に止められ、当地の警察もかけてきて警視庁まで連れられた。

 あの日の夜、お父さんは迎えに来てくれた。涙を泣いたお父さんは私に言った:息子よ、バカなのか。私たち一家をびっくりさせないで。焼かれていたくないのか。お父さんの話を聞いて、私は落ち着いて思った:「天に昇る」ことは練習中の偉い作業で、普通は全く痛みを感じることなく、煙一本で済むじゃないか。警察は私を病院に送って、焼かれた腕を治療してもらった。私は演出したドタバタ劇はこれで終わった。

 現在の私はすでに法輪功から脱出して、普通の生活に送っている。あの焼身自殺を思い出すたびに、怖くてしょうがない。もし当時やさしい通り人がいなかったら、私はすでに李洪志の殉教ものになったものの。法輪功に溺れている人は私の経験からヒントがあってほしい。
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